B級科学者もどきの憂鬱

とある理系になりきれない奴のつれづれなる活動記

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とりとめもないこと

今日は午後から、
母校の文化祭に行ってきました。
たくさん懐かしい顔に会いました。

私の所属していたクラブの作品を見に行くのが
一番の目的だったのですが、
展示時間が午前だけだったので、見れず仕舞い。

その代わり、劇とかダンスとか
そういう所を色々見て回りました。

在学中は、放送の仕事も兼務していたせいもあって、
三年間まともに見て回ったことが一度も無かったので、
ある意味今年は、母校の文化祭を
一番普通に楽しめた年かもしれません。


上とは全然関係ないんですが、
学校に向かう最中に歩きながら思ったこと。

学問(特に理系分野)の研究は、
主に二種類に分けられる。

一つは、必然に生まれた研究。
別の研究を元に、それをさらに発展・改良したものや、
何かの問題を解決するために生まれたもの(ZND理論など)。
語弊を承知で言えば、もし発見者がその時発見しなければ、
別の誰かがいつか発見したであろう研究である。

もう一つは、偶然に生まれた研究。
数学の世界なら、谷山・志村予想(今は定理)はまさにそうだと思う。
物理学なら、相対性理論とか。
また語弊を承知で言うなら、もし発見されていなければ、
いつまでも発見されないで終わりそうな研究である。

学問を発展させるという効果は、後者の方が高いだろう。

ただ、偶然に生まれた研究でも、
例えば相対性理論なら、マイケルソン・モーリーの実験のように、
やっぱり何か先立つものがあるから生まれたもの。
だから、本当に純粋に独立して生まれた研究、
というのは、この世には存在しないのかもしれない。

理性の限界というものがあるのなら、
それを探る糸口はこの辺にあるのかな、
なんて、とりとめのないことをを考えていました。

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